今日と明日のあいだ

独身のオジサンが、日々、思った事を綴ってます。

父親との想い出を少しだけ書いてみようか!

今週のお題「おとうさん」
父の日か・・・。
これは書くか書くまいか迷ったけど、まぁ、書いてみようか。
父とはいろいろな思い出があるんだけど、いろいろ有り過ぎてどれから書こうか・・・。
多分、あまり気持ちの良い話でもないかもだし、オレ自身が心の片隅にず~っと仕舞い込んでる話なんで興味のない人にはどうでも良い話だけどね。
まずはオレが酔うといつも言うセリフが有るんだけど・・・
オレの人生、汚点だらけ!
これは、真剣にそう思ってるのだ。

オレの人生、汚点だらけ!
うん、今回の話は、数ある汚点の中の一つの話。

 


どんな汚点かと言うと、
オレは父親の葬式には出てない
父親が死んだのは、バブル末期の頃だから、もうかなり前だ。まだオレが20代だったからな。当時、某保険会社で勤めてたんだけど、勤務地は沖縄・・・。
うん、父親の具合が悪くて入院してたことは知ってたし、オレが中学、高校の頃も手術を受けてるから、身体が丈夫じゃないって事も充分わかってた。
一度、山口に帰って父親の様子を見ないとなぁ
とは思ってても、沖縄から山口・・・飛行機に乗って帰らなきゃいけないし、何といっても世の中はバブルが最高潮の頃だ。イケイケドンドンの時代だし、仕事だっておいそれと休むわけにはいかない。
仕事は正義!
能力を出せ!
出来ない奴は去れ!
って風潮もあったからな。
こんな歌もCMで盛んに流されてた頃だ。


リゲイン 24時間戦えますか

夜遅くに仕事から戻ると留守電がピカピカ光ってる。
父親の様子を知らせる母親からの電話だ。
今日はどうだったこうだった、あんたに会いたがってる・・・
そんな留守電が半年以上も続いたかな。
いつも留守電での連絡だったのが、ある時、いきなり支社に電話がかかってきた。
お父さん、死んだよ・・・
母からの電話に、声を失った。
あの時の感情は何とも言えないな。
受話器を持ったまま固まってるオレに、上司やらが声をかけてきた。
どうしたん?
何かあったん?
オレの答えは、
いや、何でもないです^^
最近、実家に電話してないから、親が心配したみたいで^^
どんな表情で言ったのかも覚えてないし、もしかしたら声が震えてたかもしれないけど、その日もそのまま仕事した。もちろん、父親が死んだことは誰にも内緒だ。
普通なら山口に飛んで帰るんだろうけど・・・。
その時、大口の新規申し込みを複数抱えてたし、強化月間で仕事を離れるわけにはいかない、と思ったからな。
ましてや、入社した時から思ってたんだけど、
オレは将来、この会社の重役になる!
あわよくば社長!
って思い続けて、仕事に励んできた。
ここで仕事に穴を空けられるか!
って思いだ。
その夜、母親に電話して、仕事の手が離せないから葬式には出られないって言ったけど・・・
これは、オレの中で大きな汚点だ。
だけど、今でも思うけど、また同じ状況になったら、また仕事を選ぶような気がする。
オレの両親は自分の事よりも子供の事を第一に考える人だったからな。自分の事よりも、息子の仕事が上手く行く事を望む親だ。

父親は中学校しか出てない。いわゆる中卒。
そんな父親だけど、一人息子のオレには大学まで行かせてくれたし、欲しいと言えば、たいていの物は買ってくれたように覚えてる。
幼稚園の頃、バカみたいにデカいクリスマスツリーを買ってくれて、居間に飾ってたのを覚えてるぞ。
そうそう、小学校3年生の時だな、グローブを買ってくれた。
オレが、
キャッチボールやりたい!
って言ったら、すぐに買ってきてくれたな。
それから、しばらくの間、毎日のように父親とキャッチボールだ。
夕方の5時半に父親が帰ってくるのを、いつも楽しみに待ってた。
父は帰ると着替える間もなく、家の前の空き地でオレとキャッチボールだ。今でも球技は苦手だけど、あの頃って小学校3年だからな・・・。オレでもキャッチ出来るような緩いボールを投げてくれて・・・。それに対して、オレは思いっきりボールを投げるww
毎日30分ぐらいのキャッチボールだけど、今でも父親の笑ってる顔が思い出される。
笑ってる顔と言えば、オレが初めて自転車に乗った時も笑ってた。
いつも補助輪の付いた自転車に乗ってたのを、まわりの友達が補助輪の無い自転車に乗ってるのを見て、オレも補助輪の無い自転車に乗りたくなった。もちろん父親と練習だ。ドラマなんかでありがちだけど、父親が自転車の後ろを持ってて、子供が一生懸命に自転車を漕いでるんだけど、いつのまにか父親が手を離していて・・・ってやつね。
オレも言ったからなぁ、
絶対、手を離さないでよ!
ペダルを踏んで自転車を前に進めるオレ・・・。ふと振り向くと、父親が遠くに居る。
手を離されても自転車に乗れた喜びww 笑ってる父親の顔は今でも覚えてるぞ。

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幼稚園から小学校の頃は、近くにプロレスの興行が来た時、サーカスが来た時、インド人の手品師が来た時も父親と観に行ったなぁ。父親とは二人だけでいろいろ行ったけど、一番多く行ったのは競艇場だなww
お母さんには内緒にしとけよ!
水族館に行ったって言えよ!
なんて言われてるんだけど、いつもバレてた。
小学校も高学年になると、オレは一人で映画館に行ったりしてたんだけど、当時は入れ替え制じゃなかったんで、同じ映画を何回も観ることが出来たわけ。意味も解らずに「未知との遭遇」やら「アニー・ホール」を何回も観た。で、夕方、暗くなってバスに乗って帰るんだけど、いつもバス停で待っててくれたのが父だ。
中学3年の時、父親のタバコを盗んで吸ったのがバレて一悶着あったのも懐かしいww
盗んだと言えば、父親の財布から金を盗んだ事もあったww

今、思うと・・・
父親と一つ屋根の下で暮らしたのは高校卒業までか・・・。
大学は東京に行ったし、卒業してからは転勤族だったからな。
それでも、ここに書ききれないぐらい想い出がある。
そうそう、父親の夢というか憧れっていうのか知らないけど、よく言うでしょ・・・
息子とキャッチボール
息子が成人したら一緒に酒を飲む
親不孝ばかりしてきたオレだけど、この二つだけは叶えた。
社会人になりたての頃、行きつけの小汚いスナックで飲んだぞ。カラオケも唄ったな。
父が何を唄ったかも覚えてる。


水原弘 君こそわが命 1967 YouTube

もちろん、オレも唄えるぞww
大名曲だからな!
あっ、父親が必ず唄ってた曲があった。
これ・・・。


北島三郎/歩/seijirou

サブちゃんの「歩」だけどね、うん、歌詞が父親の生き様に重なるんだよなぁ。

肩で風きる 王将よりも
俺は持ちたい 歩のこころ
勝った負けたと 騒いじゃいるが
歩のない将棋は 負け将棋
世間歩がなきゃ なりたたぬ

造船所で働く、一介の工員さんだったけど、うん、オレにとっては最高の父親だな。
その最高の父親の葬式にも出てないオレは、世界一の親不孝者なのかもしれない・・・。

 

いつものバイト君の下書きチェックだ

バイト君:葬式にも出てないって・・・

価値観の問題だろ
オレはな、近頃の・・・

バイト君:近頃の?

嫁が風邪をひいたから休みます、なんて言う風潮は嫌いなのだ!
一生、休んでろ!って言いたくなるわ

バイト君:・・・・・・
完璧にバブル期のリゲイン社員・・・

・・・・・・

バイト君:そもそも、お父さんとの想い出があるだけ良いじゃないですか・・・
僕なんか、父親の事、ほとんど覚えてないのに・・・

だから、オレがお父さんになってやるがな^^

バイト君:・・・・・・